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栗東の名調教師「藤田伸二」

競馬予想で重要な栗東の名調教師「藤田伸二」

藤田伸二は生年月日1972年2月27日生まれ、出身地は北海道、所属団体日本中央競馬会(JRA)デビュー時の所属厩舎は栗東の境直行厩舎で、長い間一線級の成績を残してきた騎手です。

騎手を引退後は競馬界を離れ、調教師に転身をしなかったため調教師成績はありませんが一流ジョッキーでありながら調教をつけるタイプでコネ社会の競馬界で実力で立ち回ったタイプの騎手でした。
腕で勝負をするタイプの騎手だけに積極的に営業活動をすることはなく、後年は成績を落とし気味になっていましたがそれでも一定の騎乗馬を確保し続けたのは高い調教技術があったからにほかなりません。

藤田伸二の調教によって名馬になることができた馬は数知れず居て、本番だけでなく練習でもしっかり稽古をつけて馬を育て上げていったのです。
破天荒で様々なトラブルを起こした騎手でもありましたが、レースでの騎乗に関してはフェアであることを最優先してラフプレーを好みませんでした。
一見すると騎手として勝負にこだわっていないように見えるかもしれませんが、それでいて2000勝近い勝利を上げたことから技術の高さをうかがい知ることができます。
ラフプレーをしないということは周囲の騎手たちに対して危険な目に合わせないということと同時に、馬への負担もかけないということになります。
このような精神が調教でも現れ、馬に対してしっかりと稽古をつけながら故障をさせずに成長をさせていくことができるため、その技術力に関しては多くの競馬関係者から高く評価をされていました。
最後は誰もが予想をしていなかった突然の引退によって、競馬界を離れてしまいましたがその復帰を願うファンの数も非常に多くいます。

栗東の名調教師「国分恭介」

競馬予想で重要な栗東の名調教師「国分恭介」

国分恭介は、所属団体が日本中央競馬会の騎手です。デビューは2009年で、出身地は茨城県勝田市です。

尚、この場所は現在の茨城県ひたちなか市にあたります。生年月日は1990年12月27日で、身長166センチ、体重は48キロです。

所属はデビュー当時は栗東の五十嵐忠男厩舎でしたが、2011年からはフリーになっています。尚、五十嵐忠男の主な調教師成績としては、G1である2005年の阪神ジュベナイルフィリーズをテイエムプリキュアで制したことなどです。

国分恭介には双子の兄がいて、その兄である国分優作も、栗東所属の騎手として活躍しています。彼が騎手になったきっかけは、身体が小さかったことでお母さんが競馬学校のパンフレットを家に持って帰ってきて、将来の進路のひとつとして勧めたことでした。2006年4月に競馬学校第25期生として兄の優作と共に入学しました。

この競馬学校時代には、3年生の時に藤田伸二騎手の特別講義を受けたこともあります。2009年のデビューの際、調教中に落馬負傷したために同期の中で1人だけ1週間遅れてのデビューとなりました、初騎乗は2009年3月7日の阪神競馬場の第1レースで、騎乗馬はターンオーバーでした。このレースでは11着で勝てず、初勝利は1か月半後の4月25日の京都競馬場の12レースのスリーサンビームでした。

重賞初騎乗は2009年9月6日の小倉2歳ステークスで、この時はダンツミラションに騎乗し、8着でした。また、重賞初勝利は2010年10月17日の府中牝馬ステークスで、この時の騎乗馬はテイエムオーロラでした。この勝利は同期の中で最も早い重賞勝利となりました。従ってファンは馬券予想の際に国分恭介の名前は無視できない存在になっています。また、GI初騎乗は2010年11月14日のエリザベス女王杯で、騎乗馬はテイエムプリキュアでした。着順は17着でした。

栗東の名調教師「上田三千夫」

競馬予想で重要な栗東の名調教師「上田三千夫」

騎手として、そして調教師として栗東で活躍したのが上田三千夫です。上田三千夫の生年月日は1926年10月25日で、所属団体はJRA、栗東所属の調教師でした。出身地は福岡県小倉市、現在の北九州市です。

1939年、小倉競馬場所属の調教師であった上田武司に弟子入りします。のちに養子となるなど、若い時から競馬に携わることになります。

1943年に騎手免許を取得するものの、戦争に駆り出されることになり、いったんは騎手を廃業するも、戦後復帰を果たします。再び上田厩舎に所属すると、馬にも恵まれ、多くの重賞を勝つことができました。

その中の1頭がダイナナホウシュウです。当時はG1などのグレード制がなく、八大競走が格の高いレースで、8つのレースのうち、皐月賞、菊花賞、天皇賞秋を制しました。8つのレースの中には桜花賞やオークス、当時は天皇賞秋を制すと天皇賞春には出られなかったため、制することのできるレースのほとんどを制したことになります。上田三千夫はその主戦を担当していました。

調教師成績は1965年から1999年までで626勝でした。騎手時代と比べ、なかなか重賞には恵まれませんでしたが、それでも多くの馬を送り出しました。

上田三千夫は馬よりも人を多く育て、後に調教師となる人物を多く輩出し、その調教師たちもまた多くの人材を輩出するなど、上田三千夫から続く系譜は今も脈々と続いています。

予想の際には、馬柱欄を見ながら、上田三千夫からの縁でつながっている関係性があると思いながら予想をしていくと思わぬ馬券を手にすることができます。馬を育て、人までも育てた上田三千夫は間違いなく栗東の名調教師であり、日本の競馬界に名をとどろかせています。

栗東の名調教師「松田博資」

競馬予想で重要な栗東の名調教師「松田博資」

松田博資は、2016年2月末に引退した名調教師です。彼の所属団体は、日本中央競馬会(JRA)の栗東トレーニングセンターで、いわゆる関西の調教師です。

彼の来歴は、生年月日は1946年1月29日、出身地は佐賀県です。父親が騎手や調教師をしていた影響で、中学卒業後騎手を目指し東京の馬事公苑騎手養成長期課程に入所しました。その後1964年に上田厩舎所属の騎手としてデビューしたのです。
彼の騎手としての成績はお世話にも良かったとは言えず、主に障害騎手として活躍していました。その後父親と同じように調教師の道を目指し、1981年3回の挑戦で調教師免許を取得したのです。なお騎手としての成績は、1037戦188勝(重賞8勝)でした。
1983年に開業した松田厩舎は、かつて自身が障害騎手だっただけに、障害レースを目標に馬作りを行っており、実際毎年のように障害重賞レースを勝ちました。

彼に転機が訪れたのは、1988年コスモドリームで牝馬クラシックのオークスを勝利した頃からです。牝馬の松田と言われるようにベガで1993年桜花賞・オークスを制し、ブゼンキャンドルで1999年秋華賞を制し、史上4人目の牝馬3冠調教師に輝いたのです。

それ以来馬券を予想する上でも、松田厩舎の牝馬は欠かせないポイントとなっていったのです。2000年代に入ってもブエナビスタや、2010年代もマルセリーナやハープスターがG1レースを勝つなど、牝馬の松田らしく息の長い活躍を続けたのです。彼の調教師成績は、7001戦800勝(G1・19勝)と日本を代表する名調教師の一人に挙げられます。

彼の人柄はとにかく気性が荒いことが挙げられます。かつての主戦であった藤田騎手や武豊さえも喧嘩別れするほどの男です。しかし情にも厚く、高田騎手や川田騎手を我慢して育てるなど男気あふれるところが、競馬ファンを惹き付ける魅力です。

栗東の名調教師「福永祐一」

競馬予想で重要な栗東の名調教師”福永祐一”

福永祐一は競馬のジョッキーです。彼の所属団体は日本中央競馬会で、生年月日は1976年12月9日、出身地は滋賀県です。

デビュー当初の所属厩舎は栗東の北橋修二厩舎でしたが、2006年の途中からフリーとして活躍しています。リーディングジョッキー争いのトップを競うまでになった彼の騎乗技術を信頼するファンは非常に多く、馬券予想の際には彼の騎乗する馬については無視できないものとなっています。

福永祐一は調教の際にも多くの馬に騎乗し、馬の調子を随時確認しています。特にその週の有力馬になりそうな馬については各厩舎のスタッフとも密に連携をとり、その馬の力を最大限に発揮させる騎乗をします。

従って彼に依頼した厩舎の調教師成績も上昇することが多いです。2015年は10月のスワンステークスでの落馬で終盤を棒に振り、本人もファンも残念な年になってしまいましたが、2016年の2月に復活して以降は、それまでと変わらない巧みな騎乗でファンを沸かせてくれています。

福永祐一はこれまでに多くのG1レースで優勝しています。2010年から2016年の3月末までの間でも7勝をあげています。2010年は阪神ジュベナイルフィリーズを レーヴディソールで勝ちました。2011年も阪神ジュベナイルフィリーズをジョワドヴィーヴルで勝ち、同じレースを連覇しました。

2012年は安田記念をストロングリターンで勝ち、2013年は菊花賞をエピファネイアで、また、秋の天皇賞をジャスタウェイで勝ちました。2014年にはドバイデューティーフリーをジャスタウェイで勝ち、2016年は高松宮記念をビッグアーサーで勝ちました。これからもファンの期待に応える騎乗が期待されています。

栗東の名調教師「高野容輔」

競馬予想で重要な栗東の名調教師”高野容輔”

スマートレイアー等多くの競走馬を担当してきた高野容輔は、栗東トレーニングセンターに所属する調教助手で、元は騎手として競走馬に跨ってしました。生年月日は1983年10月29日、出身地は兵庫県の南西部に位置するたつの市で、所属団体はJRA、現在は大久保龍志厩舎に所属しています。

シルクジャスティスが勝った1997年の有馬記念を見て感銘を受け、騎手を目指すようになりました。競馬学校第18期卒業生として2002年に福永甲厩舎に所属、初騎乗は3月2日の3歳未勝利戦でベルモントジャックに騎乗し13番人気16着と敗れましたが、6月30日に5番人気のウエスタンデンコーで51戦目にして見事初勝利を収めました。

初めての重賞騎乗となった2003年の阪神スプリングJでは競走中止、翌日の平地重賞初騎乗となったフィリーズレビューでは、人気薄のシルクフローラに騎乗し10着とまずまずの結果を残しました。

2004年のJG2京都ハイジャンプでナムラリュージュに騎乗、3番人気2着と初めて重賞競走で連対し、2008年6月のマーメイドステークスではトーホウシャインで12番人気ながら鮮やかに重賞初制覇を飾りました。更に2010年のJG1中山グランドジャンプでは、8番人気のメルシーモンサンを操り勝ち切るなど波乱を演出し、予想ファンの度肝を抜く活躍を見せました。

2010年に引退するまで、平地競走通算36勝、障害競走14勝と数字的には目立ちませんでしたが、JG1を穴馬で制したこともあり記録よりも記憶に残る騎手として人気を馳せました。
引退後も調教助手として活躍中で、吉岡八郎厩舎や日吉正和厩舎、大久保龍志厩舎と渡り歩く中で能力の高い様々な競走馬を担当、調教師成績に貢献しています。

栗東の名調教師「藤原英昭」

競馬予想で重要な栗東の名調教師”藤原英昭”

藤原英昭調教師の所属団体は、日本中央競馬会(JRA)の栗東トレーニングセンターで、いわゆる関西の調教師です。

彼の来歴は、生年月日が1965年6月29日、出身地は滋賀県です。同志社大学馬術部出身で、大学卒業後1989年から栗東の星川厩舎で調教助手として勉強しながら働いていました。その後2000年に調教師免許を取得し、翌年3月から解散した星川厩舎を引き継ぎ開業したのです。

彼が頭角を現してきたのが、2008年ビクトリアマイル(G1)をエイジアンウインズで勝利した頃からです。同年3歳No.1ダートホースを決めるジャパンダートダービーをサクセスブロッケンで制し、新進気鋭の調教師として競馬ファンにも注目される存在となったのです。それ以降の調教師成績は、エイシンフラッシュで2010年日本ダービーを、2012年には天皇賞(秋)を制するなど、G1レースの常連厩舎となっています。そしてまだリーディングトレーナーには輝いたことがないのが不思議なくらい、現在日本を代表する名調教師です。

藤原厩舎を馬券予想の上欠かせないのが、主戦ジョッキーの存在です。かつては藤原厩舎と言えば引退した藤田伸二騎手でしたが、2010年代に入るといわゆる小原軍団に所属する岩田・福永騎手が主戦となっていました。特に岩田騎手への乗り変わりが勝負時と分かりやすいものでした。しかし2015年くらいから現在リーディングジョッキーの戸崎騎手へ依頼することが多く、戸崎騎手を起用した時が勝負時で、馬券からは外せません。また外国人ジョッキーでは、ルメールよりもデムーロを起用した時が勝率や連対率、複勝率全て高い数値となるので狙い目です。現在はノーザンファームのご用達厩舎となっているので、いろんな意味でも競馬ファンに注目の厩舎です。

栗東の名調教師「生野賢一」

競馬予想で重要な栗東の名調教師”生野賢一”

生野賢一さんはまだ調教助手ですが、今後栗東の名調教師になるかもしれない存在となっています。生野賢一さんの出身地は兵庫県で、生年月日は1984年5月10日、所属団体はJRA、音無秀孝厩舎に所属しています。

音無厩舎は数多くの賞、名馬を輩出しており、カンパニーやオウケンブルースリ、クリソライト、ミッキーアイルなど多くの馬が出てきました。音無厩舎の調教師成績は、年間30勝以上をマークし、リーディングの上位に毎年君臨しています。

騎手時代から音無厩舎に所属していた生野賢一さんは、2003年にデビューを果たします。7年目の2009年には騎手として初めて重賞を制し、その年初めてG1に出走しました。それが2009年のヴィクトリアマイルで、当時の最強馬ウオッカの2着に食い込むという好騎乗を見せました。

この年は4勝を生野賢一さん自体がマークしましたが、いずれも特別競走での勝ち星であり、平場といわれる一般競走での勝ち星がないという異例の記録を残しました。その後、調教助手の給与体系が改正され、改正後は騎手からの転身では不利となる条件だったため、それが改正される前に引退ということになりました。この年は生野賢一さんを含めて同じ日に8人の騎手が引退を表明するなど、慌ただしい中での引退となりました。

所属しているのが音無厩舎ということ、音無厩舎自体がデータを活用し、厩舎スタッフとの連携がかなり進んでいることから、競馬を学ぶ環境には十分あり、調教師が育ちやすい環境にあることは間違いありません。また、調教師を目指す人はまず調教助手を務めるケースがほとんどで、音無調教師自身も元騎手です。生野賢一さんも調教師として活躍する可能性は大いにあり、実現した場合には、予想の際にはそのあたりも考慮することが大切です。

栗東の名調教師「栗田勝」

競馬予想で重要な栗東の名調教師”栗田勝”

名馬シンザンを三冠に導き、その後の数奇な運命も注目されたのが栗田勝です。栗田勝の生年月日は1932年3月11日で、出身地は愛知県岡崎市です。所属団体はJRAで、当時の関西の名門だった武田文吾厩舎に所属することになります。

1946年、武田文吾に弟子入りをすると、1951年にデビューを果たし、すぐに活躍するようになります。当時の栗東、関西馬は関東に比べると一枚落ちる存在で、ダービーに関してもなかなか勝つことのできないレースでした。そんなダービーを1960年、栗田勝はコダマで制することになります。

コダマ自体は皐月賞を制していましたが、栗田勝はケガから復帰して間もない時期でした。しかも、大腿骨には金属板がまだ入っているという状態でした。当日は7万人が駆けつけるなどの活況を見せ、ダントツの1番人気ながらも直線で楽に先頭に立ち、勝つことができました。

その後に出会ったシンザン、ミスオンワードなどにも騎乗し、騎手として素晴らしい成績を残した栗田勝は騎手を引退し、調教師に転身します。調教師成績としては、調教師として153勝をマークしましたが、酒好きだったこともあり、現役時代から浴びるように飲むなどのことをした影響で、1980年、わずか48歳の若さでこの世を去ってしまいました。

競馬の予想に関して栗田勝は様々な功績を残していますが、その中の1つがペースに関するものです。当時の桜花賞は今よりもペースが速くなりやすく、魔の桜花賞ペースとも言われていました。1600メートルのレースで、前半47秒で通過すれば前の馬は潰れるというものをアナウンサーに伝え、それを実況に取り入れるなど、ペース配分が重要なファクターであることを伝えたのが栗田勝でした。

このサイトは競馬予想をする上で欠かせない存在”騎手”の特徴を掘り下げていきます。競馬予想サイトも数多くありどのサイトがいいのかわからない事が大半だと思います。そこで、多くの競馬予想サイトを比較し検証したさいと「競馬予想サイト比較」を参考にしてみて下さい。

日本の調教コース「栗東とは」

競馬予想で重要な調教コース”栗東とは”

栗東トレーニングセンターは1969年に開場され、以来ウッドチップコースの導入や坂路コースの新設、競走馬が泳ぐためのプールなど様々な施設ができたことから関西馬が一気に強くなり、それまでは東の馬が強かった競馬界の構図が逆転し、関西馬の牙城を築きつつあります。最近こそ、美浦トレーニングセンターの改良などで関東馬も盛り返してきていますが、層の厚さなどはまだまだ関西馬が厚いのが現状です。

栗東の調教コースの最大の特徴は坂路です。関西には坂のあるコースが少なく、関東に遠征するたびの中山競馬場の急坂や東京競馬場の長い坂に対応できず、故障馬も多く出ていました。そのため、関係者の総意で坂路が作られ、それが原動力となっています。坂がきついため、ここで速いタイムを出すのはなかなか厳しく、しかも、全体通して速いタイムを出し続けるのは一流馬でなければ厳しいものがあります。そうしたこともあり、ここで速いタイムを出せる馬はどんなレースでも走ると言われており、人気薄の馬であっても坂路時計がいいことを根拠に馬券を買い、大儲けしている人も多くいるなど、予想の重要なファクターとなっています。

栗東での調教コースはウッドチップコースも主流となっています。トラックコースになっており、競馬のレースと同じような形で調教を重ねることができ、脚元にも負担のかからない馬場となっているため、負荷をかけて調整することや何頭か併走して調教をすることができます。ウッドチップコースと坂路を併用して調教を行う馬も多く、そうした馬が活躍するケースも増えています。他にも芝、ダート、ポリトラックなど様々な種類があり、日夜栗東では調教が行われています。